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三国志顎関節英雄伝

2019.04.20

孫権という人物は、「三国志」にも出てくるので知っている方は多いかと思います。

古代中国の戦乱の時代に、父と兄が拡げた領土を受け継ぎ、安定した政治を敷き、幾度となく侵略を退け、やがては呉を建国して初代皇帝となりました。
内政面では抜群の手腕を発揮し、人事でも優れた者達を要職に抜擢し、そんな家臣たちの言うことは素直に聞き入れるという、人の上に立つ者としてはとても優秀な方でしたが、
50代半ばを過ぎて以降、人が変わってしまい、佞臣のいうことばかりを信用したり、自身の後継者のことで国をかき乱し、忠臣たちを次々と粛清させたりと、若い頃の聡明さとは別人のような問題行動ばかり起こすようにまでなり下がりました。

この、孫権の晩年の横暴な振る舞いは、一般的には年をとって耄碌したからだと考えられていますが、歴史書にもある彼の逸話から察するに、彼のある特別な身体的特徴から、引き起こされたもののように、整体師・カイロプラクターとしては感じるのです。
それは彼の『アゴ』です。孫権は残されている確かな文献によると、「アゴが張って、口が大きい」という容貌だったそうです。
そんな記述から創作物では四角い顔に描かれがちな孫権ですが、上記の叙述からは彼の容姿が「アゴが前方に大きく出ていて、受け口だった」というように解釈することも可能です。
 
そう考えてみると、孫権が後半生において正常な判断が出来なくなっていたのも、単なる老害化だけではない、別の理由があるように思えてくるのです。
 
それは、彼もまた(以前にも取り上げた)明の朱元璋と同様に、噛み合わせが悪く顎関節に問題があるために身体のバランスを崩すことにつながり、それが精神面にまでマイナスの影響を及ぼすことにまでなったからではないのか。というモノです。
 
というのも最晩年には、孫権の昔の素直さはある程度戻り、彼は正気に近い状態になっていたからです。
孫権はかつてのゴタゴタの際、自身の誤解から追いつめた挙句、心労の末に亡くなってしまった忠臣・陸遜のことを深く悔やみ、その息子、陸抗を採りたて、彼に謝罪したのです。
これは完全に耄碌していたのであれば考えられないことで、乱れたとはいえきっかけさえあれば戻る精神状態だったということを示しているようなものです。
 
いずれにせよ孫権は自身の手で家臣たちを次々と葬ってしまったために人材不足となり、呉の国は一気に衰退し、彼の没後も混乱が相次ぐことになったのですが、
彼の顎関節をもし矯正できていたのなら、三国志の展開も大きく変わっていたように、整体師としては感じるのです。

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